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横田先生:
大きく5つの分野に分けて質問いたします。第一は、局長の個人的な背景について。第二は、2006年海事労働条約と呼ばれる新しい統合海事条約について。第三は、他の海事関係事項。第四と第五は、国際労働基準全般と日本に関わる国際労働基準関係のトピックについてです。
まず、個人的な質問ですが、ILOには、どのようにして入局されたのですか?局長の背景とILO活動に関する個人的な関心について、お聞かせください。
クレオパトラ・ドンビア=ヘンリー局長:
ILO入局は約20年前で、来年5月15日に在職20周年を祝います。最初は、ILO法務部の職員募集に応募しました。選ばれたのは幸運でした。その後、ILOの法務部長をはじめ、多くの才能豊かなプロフェッショナルの人々と働く機会に恵まれました。
私は、自分の仕事とILOの活動に真の情熱をもっています。ILOでの仕事は、国際公務員として、また法律家としてきわめて重要で、わくわくする充実感のあるものです。より良い世界をつくることに貢献できるとも考えています。こうした状況は、私自身の成長を促しました。私は、ILOが体現する価値への深いコミットメントと信念をもつ優れた人々を模範として、働く機会を得たことを幸運に思います。これらの人々から私はILOへの情熱を吹き込まれました。
横田:
多くの国際機関の中で、なぜILOを選ばれたのですか?ジュネーブに留学されていて、ILOには馴染みがあったと思いますが、ジュネーブには他にも国連機関や専門機関が数多く存在しています。ILOの何処にもっとも魅力を感じたのですか?国際労働基準への関心が理由でしょうか。
ドンビア=ヘンリー:
ILOに魅力を感じるようになった最大の理由は、私の博士論文に端を発しています。ジュネーブの高等国際問題研究所で国際法を研究していたので、国連システム全体が身近な存在であり、いろいろな機会がありました。博士論文の主題は国際機関による立法でした。私は、ILOはもっとも進んだ立法の概念を持つ機関であると考え、詳細に研究しました。事実、ILOは私の博士論文の一章を占めていたのですよ。卒業後はILOを含む幾つかの機関に応募し、私が研究したことをもっとも活かせる場として、ILOを選んだのです。ILOの法務部門で働けたことは、すばらしい機会でした。また、母国ドミニカの労働大臣だった父の影響を強く受けたことも付け加えるべきでしょう。父は女性の権利と機会均等、教育機会を提供する法律と政策をつくり、労働者の権利でもありました。これもまた、私の個人的背景として重要な要素です。
横田:
それは興味深いですね。ILOを選ばれて、現在に至るまでILOの活動に強い信念をもっておられる理由がわかりました。
次の質問は、2006年海事労働条約についてです。はじめに、今年2月の海事総会で成功裡に条約が採択されたことにお祝いを申し上げます。この条約案を、完成度が高く、体系化され、理解しやすく有用なものとするために、大変な尽力をされたと承知しております。お聞きしたいのは、過去にILOが採択した幾多もの海事労働基準を、なぜ、一つの条約に統合する必要があったのか、という点です。
ドンビア=ヘンリー:
66の国際労働基準(37条約と29勧告)を統合したのですが、これはILOのみならず国際条約制定における驚異的な成果だったと思います。これほど多数の独立した条約が存在することは、ILO、そして特に加盟国にとっての課題でした。国際的な海事部門での発展を見ますと、国際海事機関(IMO)が取り扱う海上の安全、海洋環境の保全などでは、海上人命安全条約(SOLAS条約)、船員の訓練及び資格証明並びに当直基準に関する国際条約(STCW条約)、海洋汚染防止条約(MARPOL条約)などの国際文書があります。これらの条約は批准が進み、実際的に施行されています。ILO条約が数多く存在することは、国際基準の不均等な適用と寸断されたシステムを意味します。これにより、条約の履行が困難となり、条約上の義務も容易に回避されてしまっていたのです。
これらの条約は、細かい技術的規定を多く含んでいます。ILO加盟国のほとんどは、条約の原則と目的を支持していますが、実質規定は一部の国にとって批准の妨げとなっていました。そして批准が進まないため、条約の実施が困難な状況でした。また、ILOの海事条約の古いものは1919年か1920年頃にまで遡ります。これらの文書は、1920年〜1996年の間に採択され、産業の現状との関連性及び船員が必要とする保護の提供の面で更新されていないものが少なからずありました。その結果、ILOの海事労働条約は、批准の面で、IMOの海事条約ほど支持を集めていなかったのです。
商船における最低基準条約(1976年、147号)が比較的よく批准され、実効性のある施行システムの基盤を定めていたので、これに基づいて新文書を組み立てることに力を注ぎました。この条約は、寄港国検査(PSC)システムを通じた施行に適度な成功を収めていましたが、この条約の批准でさえも船主間の公正な競争と船員のディーセント・ワークを支える条件を創り出してはいませんでした。
横田:
そもそも海事労働条約を統合しようという提案はどこからでてきたものですか?推進力となったのは、どこの国でしょうか。それとも労働組合、使用者団体でしょうか。またある程度は抵抗や批判にも直面されたでしょう。条約が成功裡の採択に至るまでの初期の交渉プロセスをご説明いただけますか?
ドンビア=ヘンリー:
新条約の主要な成果の一つは、その策定プロセスです。複数の海事労働条約を統合するという考え方について功績を認められるのは、船主と船員からなるILO合同海事委員会のソーシャル・パートナー(使用者代表および労働者代表)でしょう。この委員会で、海運のようなグローバルな産業には統一的に施行されるグローバルな基準が必要である、との結論に至りました。文書としては立派だけれども、数が多く詳細であるが故に実効性を欠く多数の国際労働基準をもつことは、もはや許容されなかったのです。自分たちだけでは統合を進められないことを認識したソーシャル・パートナーたちは、すべての既存海事労働条約の統合を提案した2001年1月のジュネーブ合意の採択後、新しい条約の内容に関する「好ましい解決策」をまとめ、ILO加盟国政府による検討を求めました。ILO理事会は、提案を検討するハイレベル三者構成会議の開催を提言し、2001年12月に第1回三者構成会議が開かれると、政府はただちにこの提案に賛成しました。これが政労使三者による総合条約起草過程模索の始まりであり、国際的な社会対話が最高の機能を見せた事例です。この対話と模索はその後5年間続きました。
ILOの役割は、このプロセスを促進するために必要なサポートを提供し、共有されたビジョンを最終的な結実に向けて前進させることです。それは第一に条約の採択であり、現在では、可能な限り普遍的な批准を実現し、各国において実効性のある実施を図ることです。
横田:
見事なプロセスですね。問題が複雑であるにもかかわらず、5年以内に目的を達成し、関係者が皆、その考え方と最終文書に賛同したのですから。歴史的な快挙でしょう。何故それが可能だったのか、今のご説明で理由がよくわかります。すべての関係者の意向を反映するという注意深いプロセスがあったからですね。これは複雑な国際問題を解決するための一つの模範的な事例だと思います。
ドンビア=ヘンリー:
そうですね、国際社会への教訓だと思います。多くの資源と時間を要しましたし、プロセスと目標に対して、すべての関係者からの純粋なコミットメントが必要でした。10回を超える三者会議が開かれ、参加者が数百人にのぼることもありました。会議では、問題や懸念を明らかにし、対応について、さまざまな事項を討議・検討したのです。きわめて重要だったのは、文書の策定過程の各段階で、批准を妨げる事項が存在しないかどうかを政府に確認することでした。プロセスが大事な理由はそこにあります。つまり、熟考と討議のための時間と空間を確保したのです。これにより、政労使は解決策を見つけるために、創造的に考えることができました。困難なときも、またむずかしい課題もありましたが、この課題を前進させようとの決意と共通の利害があったのです。当事者間の信頼と信用のもとで、皆が究極的な目標に向けて力を尽くしたからこそ、もっとも困難な課題を乗り越えることができました。
横田:
2006年海事労働条約には、ILO条約としての観点から、さらには一般的な国際法の見地からも幾つかのたいへん興味深くユニークな側面があると承知しています。他のILO条約、また国際法全般と比較して、この条約がもつ独自の特徴をご説明いただけますか。
ドンビア=ヘンリー:
最初に挙げられる新条約の重要な特徴は、その新しい様式です。ILO条約としては独自の構造と形式を有しています。この条約を通じて、新旧の最も良いところを組み合わせ、新たな国際労働法体制を固めようとしたのです。
条約の全体的な構造は、海事部門に馴染みがあり、共通する関心事項の扱いに成功しているIMOの文書を参考にしました。それをILOの価値と視点を反映するように作り直したのです。また既存ILO条約の規定と勧告の規定を統合しました。条約の主な利点の一つは、原則と権利に関しては堅固でありつつ、実施の具体的な手段については弾力的に、というアプローチです。それは、部分的に、採用された「三層の統合構造」を通じて達成されました。16の義務的な「総則規定」が、条約全体に適用される原則と義務を明記し、次のレベルの「規則」が、雇用条件、船上の居住設備、社会的保護などの具体的な状況における原則の適用を定めています。「規則」は、異なる領域を扱う5つの章にまとめられ、第5章は条約の遵守と施行に充てられています。「総則規定」と「規則」は、通常のILO条約の手続きを経てのみ改正が可能です。文書には、一般的な語法が用いられています。これは、産業部門の変化に伴って時代遅れにならないよう、意図的にそうしているのです。
「コード」と呼ばれる第三層は、「規則」の詳細を定める技術的な規定で、A部「基準」とB部「指針」の二部構成です。A部「基準」は義務規定で、B部の「指針」は各国の行政に対し、「基準」と「規則」の適用に関する指針を提供します。加盟国は国の制度のもとで条約を施行するにあたり、「指針」を十分に考慮しなければなりません。「コード」は、私が垂直的統合と呼ぶところの形式で、「規則」と同じく5章にまとめられています。このように、まず「規則」を読み、次に「基準」、そして「指針」へと進むことになります。例えば、第2章:雇用条件の中にある本国送還について例を挙げましょう。本国送還は、規則2.5の規定の中で扱われます。この規則には、すぐにこの問題に関する基準A2.5が続き、さらに関連する指針B2.5が続きます。もっとも一般的な原則は「総則規定」または「規則」のレベルにあり、もっとも詳細な規定は「指針」のレベルにあるという階段(ピラミッド)状の構造になっているのです。本国送還などの根本的な原則を支持する国においても困難を生じうる技術的な規定は、「指針」の中に存在することになります。加盟国は「規則」と「基準」に明記される目標を満たすに当たり、「指針」にあるのと同一の方法をとらなくてもよいのです。その場合、当該国のアプローチは、条約勧告適用専門家委員会に対して説明されます。加盟国に柔軟性が与えられていることを認識しつつ、条約の遵守を測るベンチマークとして「指針」を使うのですから、これは専門家委員会にとっても興味深いものとなるでしょう。
もう一つ、この三層構造に関する重要な要素として、「コード」の技術的詳細は、通常のILO総会手続きと共に、新たな簡易手続きによっても改正できるという点があります。簡易改正手続きはIMOで用いられているものと似ていますが、安全や健康や居住設備に関する技術規定が時代遅れになるのを防ぐために考案されました。これはILO条約における重要な改革です。それからこの条約は呼び方が従来のILO条約と大きく異なります。たとえば、条約番号はなく、改正された場合は改正2006年海事労働条約と呼ばれることになります。
条約の構造の柔軟性に加え、加盟国に対し、義務の実施方法の選択についても、一定の柔軟性を与えています。例えば、ある「総則規定」は、「実質的な同等性」に基づいて、「コード」A部の実施概念を認識します。これは、すでに147号条約に存在する柔軟性の種類ですが、さらに一歩進んで、この条約の目的に照らして実質的な同等性の意味を定義しています。これは、第5章の遵守と実施を除くすべての章の海事労働事項に適用されます。第5章については、加盟国は詳細に至るまで、遵守と実施の規定に従わなければなりません。さらに、規定されない限り、条約は法律、規制、団体協約、またその他の措置や実践によっても実施可能であるということも申し添えるべきでしょう。こうした弾力条項は、各国の条約批准に必要とされる柔軟性を提供する上で重要です。
もっとも広範な影響を及ぼす革新の一つは、実施と遵守の制度にあります。ILO条約として初めて、労働証書の要件を定めているのです。国際的に航海する500総トン以上の船舶は、例外なく海事労働証書及び海事労働適合誓約書を所持していなければなりません。これは、旗国または旗国の政府が権限を与える認定機関が発行するもので、船上の船員の労働・生活条件が2006年海事労働条約を実施する各加盟国の法律に適合していることを証明するものです。
この義務は、新条約が規定したものです。また、1982年の国連海洋法条約の一般義務、1958年の公海条約に関連するものとも考えることができます。後者は、自国の旗を掲げる船舶上の条件に関して、旗国が実効性のある管轄権と規制を行使するよう求める条約です。証書は、船舶が他の加盟国の港に入港する際に提示し、船上の条件の適合性を明示する証拠であると考えられます。条約の下で、寄港国は条約への適合性に関して船を検査することができます。船舶が海事労働証書と海事労働適合誓約書を有していない場合、あるいは条約が特定するように、適合性を疑うに足りる事由が存在する場合は、その船舶はさらに詳細な検査の対象となる可能性があり、その状況が是正されたと考えられるまで寄港地に抑留される可能性があります。つまり、条約批准国の船舶は、ほとんどの場合、寄港国当局が証書を確認するのみで、出航が遅延されないという点で、明らかな優位性があることを意味します。未批准国の船舶は証書をもっていません。条約の下で、これらの船舶は批准国の船舶よりも優遇されてはならない、されるべきではない、としています。証書をもたない船舶は、船員の労働・生活条件に関して、さらに詳細な検査を受けなければなりません。「優遇を受けてはならない」という原則は、他で成功裏に適用されてきた大きな影響を与える概念です。これが有意義な効果をもつことを願っています。
条約はまた、各国が固有の産業状況を認識しつつ、条約を批准することが可能になるよう、他の領域でも柔軟措置を採用しています。例えば、批准国は船主及び船員団体との協議の上で、一定の「コード」について、200総トン未満の内航船には適用しないと決定することができるのです。そうであっても、船員は国内法規制、団体協約等により保護される必要があります。このような決定事項はILO事務局長に報告されます。この条約は、各国の柔軟性に関して重要なアプローチをとっています。各国の異なる状況に対応するために柔軟性を採用する度に、同時に透明性、説明責任、監督の概念も導入されます。柔軟性を利用するためには協議が必要です。国内に労使団体が存在しない場合、加盟国が弾力条項を利用したり、適用除外を求める場合には、条約の下で組織される三者構成特別委員会に諮らなければなりません。
このような協議義務のほかに、条約にはILOに対する、そして最終的にはILO監視機構への報告に関連する幾つもの規定があります。ILOは情報を検討し、それをすべての加盟国に公開します。ここで大事なのは、寄港国検査と実施を含め、情報の送付に関して多数の規定が存在していることです。
これは情報公開の要素を帯びており、またILO憲章第22条の国際監視にも関連します。
ILO理事会の三者構成特別委員会も重要な新設事項です。これは条約の機能を継続的に検討する任務をもつ常設の組織となります。そして条約の意義を確保する上で大変重要です。というのも、海運業は船員の条件と技術発展の面で急速に変化しつつある産業部門ですから、常に最新の基準が必要なのです。この三者構成特別委員会の主要な任務の一つは、現状を検討し、簡易改正手続きを利用して「コード」の詳細規定の改定を提案・討議することです。改正は明確に規定された手続きに則って討議され、委員会が採択した場合には、承認を得るためにILO総会に上程されます。ILO総会は承認するか、再検討のために委員会に差し戻すかの選択ができます。委員会は特別な機構であり、ILOの監視制度は、問題の展開において、三者特別委員会の検討による恩恵を受けるでしょう。加盟国の遵守状況について判断するなどの特定の状況に関しては、専門家委員会に対して専門的助言を行います。我々は、この仕組みが、ILOの監視機構の活動をより興味深く適切なものとし、この分野の産業の現実問題への対応性を高めるものと考えています。
横田:
条約の特徴について包括的なご説明をいただきました。条約勧告適用専門家委員会にとっても、これは新たな挑戦になると思います。というのも、条約全体の概要と構成について熟知する必要がありますし、既存のILO条約に用いられる通常の分析手法を適用することができません。最後に、2006年海事労働条約については、これがどれだけ早く必要な批准を得て発効するかに関心が集まっています。ILO事務局では、政府が条約批准に向けて検討することを奨励する計画はあるのですか?すべてのILO加盟国に、海事労働条約の特性と利点を伝え、可能な限り早期に発効させるために、どのようなアプローチをとるのでしょうか。
ドンビア=ヘンリー:
たいへん良いご質問をいただきました。条約が採択されたとき、ファン・ソマビアILO事務局長は「労働の歴史に残る事柄だ」と述べました。まさにその通りです。この条約によって、熱意とオーナーシップ(自分達の問題として主体的に取り組む)の意識が浮かび上がりました。そこに解決策があるのです。つまり、この熱意とオーナーシップの意識を活かして、条約が迅速かつ広範に採択され、発効するよう、次の段階に進むのです。そのためには、政労使と共に始めたパートナーシップを継続する必要があります。ILOは、総会役員の助言に従い、この条約を促進する上での優先事項に関するロードマップともいうべき戦略を採択しました。私は、これをマルチ・パートナー、マルチ・レベル戦略と呼んでいます。つまり、関係者が連携して活動し、各当事者が異なる役割を担いながら力を合わせることで、各々の役割をより効果的に果たすことができる、というものです。また、異なるレベル、つまり国、地域、国際レベルで行動することの必要性も認識しています。例えば、船主団体においては、会員が各国レベルで条約を支持するよう奨励することが重要です。船員団体についても同様です。地域レベル、国レベルで政府を支援するため、緊密に協力する必要があります。ILO及び他の既存の地域フォーラム、例えば、地域の寄港国検査(PSC)覚書、東京MOU、パリMOUなどの会合を通じて、加盟国に働きかけていくことも重要なプロセスです。
ILOでは、「三者によるロードショー」ともいえる大規模な条約促進パッケージをまとめました。将来のILO会合には、この条約が議題に含まれ、その立案者であり、策定と採択に貢献したソーシャル・パートナーと政府が、スピーカー・パネルとして参加するでしょう。政労使に条約を説明・促進するにあたり、当の政労使に関与してもらおうという発想です。この大規模な促進キャンペーンの一環として、広報用のCDを配布し、その他にも、政府を支援するための近代的なツールや情報リソースを開発する予定です。事務局長自身もキャンペーンに積極的な役割を果たすことを約束しています。すでに、あらゆる機会をとらえて条約を推進しているほか、新聞などのメディアに記事を発表する予定です。また、IMOからも多大な支援をいただいています。IMO事務局長は、IMOの安全、海洋汚染、船員訓練条約と並ぶ国際海事規制制度の第4の柱としてILOの海事労働条約に言及しました。すなわち、労働の柱、ディーセント・ワークの社会的側面を支えるのが2006年海事労働条約です。ミトロプーロスIMO事務局長はIMOの枠組みの中で、この条約を促進すると確約しました。
私はまた、この条約は、船主及び船員団体と共に、後ろ盾となった政府の支持を得ていると確信しています。加盟国が条約を円滑に批准し、その義務を実効的に実施できる地点まで進むことを支援するために、今後数年間、大規模なキャンペーンが必要です。むこう3年以内、遅くとも5年以内に、条約の発効に必要な世界の船腹量の33%に相当する30カ国の批准を達成できるようにと願っています(注1)。
横田:
海事労働条約を採択したILO総会での勢いに鑑みれば、目標は比較的短期間に達成できるのではないでしょうか。
次に、船員の身分証明書(改正)条約(第185号)に関して、批准の現状をお話いただけますか。
ドンビア=ヘンリー:
185号条約とその先駆けとなった108号条約は、2006年海事労働条約に統合されていない4条約のうちの2つです。185号条約は、9.11の同時多発テロから2年を経ない2003年6月に採択され、今はもう発効しており、4ヵ国が批准し、1ヵ国が暫定適用を行っています。条約は、新たな安全保障関係事項を扱っていなかった108号条約を改正するものでした。9.11以降、当時の国際社会の安全保障に対する懸念を取り除き、迅速に対応することが重要である、とILOは考えました。海運業は安全保障の問題にはつねに敏感であり、安全保障を推進する上でのパートナーとなる必要があると考えられていた点も留意されるべきでしょう。当時、IMOはSOLAS条約のISPSコード(The
International Ship and Port Facility Security Code、国際船舶・港湾保安法)の改正を採択することにより海上の安全を強化しようとしていました。そこで、ILOは108号条約の改正を早め、その結果、30ヵ月内という迅速さで採択されました。例外的にILO総会に議題が追加され、採択されたのです。この問題への対応を、2006年海事労働条約のプロセスと別にしたのには、タイミングの問題も関係していました。
185号条約は、船員及び船員の人権の保護を確保する一方で、海上保安の強化を図り、身分証明書の一部として「生体認証ID」の所持を義務化しています。議論を重ねた後、指紋テンプレートをIDとして採用することが合意されました。船員の人権を保護するために、生体認証IDはチップではなく、バーコードに記録することも合意されました。ILO条約は、人権条約の国際的な枠組みにも関係していますので、この点はとても重要でした。
生体認証に関する部分のほかに、もっとも重要な要素は、条約を批准する加盟国が安全保障の全体的な確保の仕組みを確立することを求めている点です。各国は条約が規定する完全な安全保障体系を確保するという最低要件を満たす手続きと実践をもたなければなりません。その体系は申請書類の処理に始まり、身分証明書の発給、更新と監査、そして末端での身分証明書の管理にまで至ります。つまり、安全保障問題を単にカードによって対応するのではなく、カードを処理し、発給するシステムの完全性にまで関わる事柄です。国際的監視に加え、監査の必要性が条約に含まれました。ILOは監査報告書を審査し、特定国のシステムが条約の技術要件に適合しているかどうかを決定します。条約の要件を満たす国は、遵守国リストに加えられます。ILOがこのように技術要件を遵守する国のリストを作成するのは、初めてのことです。これはILO憲章の第22条の手続きより、さらに一歩踏み込んでいるでしょう。あるべき生体認証と安全保障の体系のきわめて技術的な側面に関する法遵守に関する規定なのです。さらに、条約の重要な要件の一つは、全批准国が、船員である自国民に関する保安関係情報のデータベースを構築し、常時アクセス可能にしなければならないというものです。船員がどこに行こうとも、問題が発生すれば、その船員の身元を調べることができるようにするためです。
ILOはこれらの規定の起草において、海事労働条約と同様に、国際労働条約に関する新しいアプローチと概念を打ち出しましたが、同時に、この条約が費用のかかるものであることも十分考慮していました。特に、生体認証に関する国際技術基準がまだ採択されていない領域を扱っている点で困難でした。ILOは既存の基準を数段階飛び越え、理事会とILO総会は、この生体認証制度が「相互に運用可能である」ことを確保すべきとの決議を採択しました。つまり、A国からB国、それからC国に移動する船員はカードを発給された船員本人であることが特定されるべきだということです。A国では指紋の採取とテンプレートの作成にある製品を使い、B国とC国はカード上の指紋テンプレートとの照合に別の製品を使っていたとしてもです。ILOは生体認証の相互運用性を可能にする技術基準を開発し、加えて、この技術基準を満たしているとされる製品の販売業者のリストを作成しました。ILOは生体認証販売業者の大規模な検査活動に着手し、たいへんな成功を収めました。船員の身分証明書はまさに身分証明のためのもので、パスポートではありません。条約は、船員が身分証明書を所持していれば、寄港中の上陸の際にパスポートをもつ必要はないと規定しています。船員の福祉は海運国家間の慣習的な特権にもとづく優先事項であり、私たちは、船員が上陸許可を享受することを確保したかったのです。
横田:
密入国する犯罪者を取り締まる必要があるという現在の政治状況からの要請について、これまで船員が享受してきた権利と特権を犠牲にすることなく、適正なバランスをとることを試みているということですね。
さて、現在、ILOが直面する国際労働基準に関わる他の問題は何でしょうか?特に今日のグローバル化する経済、労働組合運動、資本移動などと関連して、いかがでしょう。ILOの特徴である三者構成は多くの良い結果を生んでいると確信していますが、すでに誕生して以来80年を超えています。現在の三者による代表制と監視システムは、21世紀のグローバル化した労働問題の世界においても重要であり、かつ機能しつづけるとお考えですか?
ドンビア=ヘンリー:
ILOの創設者たちには先見の明がありました。1919年の時点で、労働の世界に関する問題を討議し、経済社会の正義と社会的平和を推進するために、政労使が関与する国際的な三者構成機関を設立するほど将来を見通していたとは、信じがたいほどです。創設者のビジョンは当時と同様に重要でありつづけ、課題は、当時よりも大きくなっています。グローバル化の影響は、さまざまな方法で、各国における生活のほぼ全域に及んでいます。真の社会対話は効果的に機能します。それは海事労働条約の採択によって証明されたとおりです。これはグローバル化への対応のよい事例でしょう。各国では労働組合運動の弱体化が見られます。労働組合は多くの組合員を失いましたが、依然として経済における重要な当事者である労働者の代弁者であり、民主的な組織です。コミュニティや経済全体を代表する組織ではないかもしれませんが、確かに他にはない正統性があります。我々は、集団の利益を守るために組織化する専門性と経験をもつ民主的な労働者の代表組織として、労働者団体の可能性をさらに発展させるために支援する必要があると思います。基本的構造と原則はそのままですが、活動周辺の状況が変わり、新たな重要課題が生じています。労働者団体は、使用者団体や政府と同様に、この新たな課題に適応し、調整する必要があります。私は、労働組合はこの課題に立ち向かうことができると考えています。
横田:
日本で適用されてきた労働基準に関連して、今回、興味深い展開を観察されていらっしゃることと思います。ILOは日本が直面する数々の労働問題に対応してきました。今日の日本の労使関係に関する重要な労働基準に関する問題は何だとお考えになりますか。日本政府、あるいはソーシャル・パートナー(労使団体)が対処すべき問題は何でしょうか?
ドンビア=ヘンリー:
ご質問の一部には、ILO監視機構が取り扱っている案件もありますので、あまり詳細にはお答えできません。しかし、一般的な意見として、公務員制度改革及び行政改革に関連する特定の懸案があると理解している、ということは申し上げられるでしょう。この2つは、日本が結社の自由と団体交渉権に関する87号及び98号条約の両方を批准していることから、重要な問題だと考えます。
そうは言いましても、社会対話を奨励するよう継続的に力を注がれていることを心強く思います。小泉首相ご自身が、公務員改革に関する労働組合との対話を継続する方法について、具体的な提案をされています。この対話が生産的なものとなり、政府および労働組合の双方に受け入れられる成果に結びつくものと確信しています。公務員制度は行政の重要な一部をなしています。この場合、政府は公的な使用者であり、公務員改革に関して労働組合との対話に誠実に臨む必要があります。このことが、一部の労働者の結社の自由に関して存在する他の懸案事項の解決にもつながる可能性をもつ重要な成果に結びつくよう願っています。
横田:
それでは最後の質問をさせていただきます。ILOに対して、現在そして将来にわたり、日本からどのような貢献を期待されますか?特に、日本政府、ソーシャル・パートナー、そして国民に対して、ILOの活動強化に関連して、どのような期待をお持ちですか?
ドンビア=ヘンリー:
日本はILO創立以来の加盟国であり、ILOの事業計画と予算に世界第2位の貢献を行っています。日本は尊敬されるILO加盟国であり、アジア太平洋地域の重要な国家です。日本には、他のアジア諸国が包括的な社会政策を追求し、ディーセント・ワークと基本的人権に関連するILO原則を尊重するよう促す役割があります。日本はアジアの近隣諸国を支援する重要な技術協力プログラムに協力しています。私は日本が引き続きこのプログラムを支援し、可能であれば拡大していただきたいと思っています。というのは、アジアにおいては基本的人権の認識においてさえ、大きな課題があるからです。アジアは労働基準の比較分析において相対的に低い位置にあります。アジア諸国は多様で、開発途上国もあれば先進国もあり、状況が大きく異なっています。日本はアジアの中で、また、ILO全般についても重要な役割を担っています。アジアの意見を代表するのみならず、ILOの枠組みの中で討議すべき課題を挙げ、ILOが重要性を維持し、起きている変化に可能な限り対応できるよう助けていただきたいのです。
ILOはグローバル化する経済の中で独自の機会をもっていると思います。ILOは、繊維産業の変革、人身取引の問題などを含む多くの問題の中心に置かれています。日本はすでにILOで重要な役割を果たしており、この地域でさらに大きな役割を果たすことができるでしょう。例えば、日本はILO結社の自由委員会のメンバーです。横田先生は条約勧告適用専門家委員会の委員でいらっしゃいます。日本は、理事会に代表され、重要な組織や機関で活発な活動を展開しています。日本が期待される役割を果たすのは、まさに正しいことと思います。ILOがより大きな社会正義を達成するための任務と使命を、日本にサポートしつづけていただけることを確信しています。
横田:
まったくおっしゃる通りだと思います。ILO事務局幹部の中で、ドンビア=ヘンリーさんは重要な人物のお一人です。ILO事務局の活動は、ILO総会、理事会、そして私が光栄にも委員を務めさせていただいている条約勧告適用専門家委員会の作業を促進する上で、重要性をさらに増しています。若い日本人がILO事務局で働くことに関心を抱いていることは喜ばしいことですし、私のかつての教え子もドンビア=ヘンリーさんの部局におります。このように、ILOに有能な日本人専門家およびプロフェッショナルを送るというのも、日本によるもう一つの貢献のあり方だと思います。
ドンビア=ヘンリー:
私の部局に2人の日本人職員がいることを誇りに思います。可能性に満ちた、たいへん聡明で勤勉な職員です。日本がこのような専門家を通してILOに恩恵をもたらし、貢献をつづけていただく機会は多いと思います。日本はさまざまな形でILOを支援しています。今日日本には1週間滞在していますが、懸案事項に対する認識と共感があることを感じます。私は、日本がILOと国際労働基準を尊重していることを実感し、安心しています。労働の世界は絶えず発展しているわけですが、専門家委員会の役割の一端は、継続的に発展する法慣行を検討し、各国が対話を通じて遵守を維持するよう調整することの一助となることです。これはダイナミックな関係であり、そのように考えた場合、日本にとってもおそらく有益なものになるだろうと思います。
横田:
長時間ありがとうございました。とっつきにくい複雑な問題について詳細かつ明解なご説明をいただき感謝します。今回の訪日が実り多く、かつクレオパトラさんご自身にとっても楽しいものであるよう願っています。
註1: 2006年6月の第95回ILO総会で、主要な旗国であるリベリアが2006年海事労働条約の初の批准国となった。これは、総トン数に基づく世界の商船の8%超が、すでに潜在的に条約の対象となったことを意味している。